借り初めのひみつきち

仮ブログです。

絵の出る IPL に思いを馳せて。

MEG-OS の IPL は高機能だった。

NEC-98,IBM PC,FM TOWNS の3種類のアーキテクチャを自動判別し、 FAT を参照しながら 64KB よりも大きなカーネルをフロッピーからロードできた。
MEG-OS がひとつのディスクで IBM PC とそれ以外の機種で同時に起動できたのはこの高度な IPL のおかげだった。

このブートプロセスを踏襲したおれんじぺこ・・・は64bit専用だったけれどその兄弟分のFanningsや、時代遅れのごみくずのような OS である osz も MEG-OS を引き継いで IBM PCNEC-98 で同じディスクから起動した。*1

MEG-OS は更に当時の自作 OS としては珍しく高度なブートメニューを搭載していたり、ブートプロセスが洗練されていると言われた。
ブート周りが洗練されているなど当時としては色々先進的な試みで注目された MEG-OS だが、その上でアプリケーションが動くことはなかった。

ユーザーモードで動作するシェルを模したコードは動いていたが、カーネルとアプリケーションという明確な敷居ができていない動作テストみたいな状態で開発が終わってしまったのである。仮想 86 モードがうまく動作しないのが開発中断の理由のひとつだった気もする。

MEG-OS を中断して開発がはじまったおれんじぺこはきちんとアプリケーションが動いた。
なぜかアプリはカーネルモードで動作していたけれど、 Fannings の場合には仮想 86 モードの BIOS を呼び出す機能もあった。

おれんじぺこの開発が終わったあとは定期的に変なものを作りかけて放置する期間が続いた。
この時作ったものに一時期 MEG-OS のブランドを冠したこともあったが、この頃になると仮想 86 モードの動作は Fannings より更に洗練されていた。
だが、アプリケーションが動くところまで進んだものはなかった。

やがてそれらも作られなくなって osz が生まれた。 osz はそれまでの MEG-OS から見るとかなり規模の小さいごみくずのような OS である。
MEG-OS の IPL も継承したが、 osz では高機能すぎてロード時間の短縮のために単純化したバージョンが作られた。

こうやって見るとブートプロセスは MEG-OS の時点でほぼ完成していてあまり進歩していない。むしろ退化している。

自作 OS を揶揄する言葉に「絵の出る IPL 」というのがある。とりあえず IPL から起動してきれいな見た目が出てくるだけで他に特に何もすることがない未成熟な自作 OS につけられたあだ名なのだろう。まさに MEG-OS のことである。

*1:FM TOWNS はもともと使ってなくて資料が少ないのと実機を処分してしまったので今はカーネル側が非対応になってしまった。